こんにちは!重い霊障とカルマを解消させたブロガー☆ニナです。
- 犯罪被害者・遺族
- 事件で大切な人を失った人
- 犯人が許せない人
世の中というのは、理不尽なもので、何も悪いことをしていないのにも関わらず、ある日突然事件に巻き込まれ、その尊い命を奪われてしまう方というのが、たくさんいらっしゃいますよね。
被害者の方はもちろん、ご遺族の方も、大切な人を失ったことによって大きな悲しみや苦しみを背負い、その傷を癒していくのもなかなか難しい問題です。
しかし、これは多くの人が気づいていないのですが、人生(人の生涯)というのは、とある仕組みから成り立っているものであり、その人の身に起こる出来事や最期(死に方)など、全てに意味があるのです。
こういった話をすると、すぐに「怪しい」「胡散臭い」などと言い、最初からはねのける人もいますが、私はただ単に誰かの話を盲信したり、宗教的なことに影響されているわけではありません。
これらは、全て私の人生経験から得た知識をもとにお話しているので、ぜひ最後までじっくりとお読みいただけると嬉しいです。
誰かに命を奪われてしまった人の受け止め方
事件や犯罪に巻き込まれ、誰かの手によって命を奪われてしまう人というのは、最初はなかなか理解するのが難しいかもしれませんが、過去世のカルマ(業)を背負ったまま、この世に生まれてしまったことによって、そのカルマを解消するために、このような亡くなり方をしてしまうのです。
カルマについては、こちらの記事で詳しくお話しているので、ぜひこちらも読んでいただきたいのですが
まず、カルマというものが一体何なのかを簡単に説明すると、「因果応報」や「過去に自分が行った行為は必ず返ってくる」という意味を含んだ、サンスクリット語の言葉です。
わかりやすくいうと、「過去世の自分が作ってしまった罪」ということ。
また、人生は、一見今の人生だけが全てのように思えてしまうものですが、実は、今私たちの肉体に宿っているこの魂というのは、永遠に続いているものでもあるんですね。
なので、今この肉体に宿っている魂というのは、別の肉体(過去世のこと)に宿っていたこともあるので、記憶はほぼ完全に消されていますが、私たちには過去世(別の人間だった時代)が存在するのです。
悲惨な亡くなり方をしてしまう人の原因
当たり前ではありますが、人生というものは、人それぞれ生まれる環境も、その人の行いも千差万別であるため、過去世の環境や行いも今世と同じように、人によって全く違うものなんですね。
カルマというものは、大なり小なり皆が抱えているものではあるのですが、過去世であまりにも大きな罪を犯していたり、良くない行為ばかりを繰り返していた場合は、今世で過去に犯してしまった罪というのが、大きく跳ね返ってきてしまいます。
仮に、過去世で何か良くない行いをしていたとしても、過去世の人生(生涯)の中で清算できる程度の罪であれば、今世でその罪が返ってくることはないでしょう。
ですが、あまりにも罪が大きすぎたり、過去世で自分が犯した罪を清算できないまま、再びこの世に生まれてしまうと、過去世の大きな罪を背負ったまま生まれてきたということになってしまうので、必然的に悲惨な運命を辿ることとなってしまうのです。
人が生まれてくる目的というのは、魂の成長(学び)を目的としているため、何もしっぺ返しが来ることなく、自分だけが悪い行い(人の命を奪うなど)を好き勝手にしている状態だと、全く学びにはなりません。
そのため、過去世で誰かの命を奪ったのにも関わらず、自分はその苦しみを経験せずに生涯を終え、再びこの世に生まれてしまうと、過去に自分が行ったことと同じような方法で、誰かの手によって、今度は自分が命を奪われてしまう側の人間になってしまいます。
人生というのは、大まかなこと(婚期や子供の有無、死に方など)は全てシナリオで決められており、自分で選ぶことはできません。
とても理不尽に感じてしまうかもしれませんが、事件に巻き込まれて亡くなってしまう人や、悲惨な亡くなり方をしてしまう人というのも、その人の運命だということなのです。
私が過去世のカルマの存在に気づいた理由
ここまで、誰かに命を奪われてしまう人の原因や、人生の仕組みついて解説してきましたが
なぜ私が、過去世のカルマというものが実際に存在すると思えるようになったのかを、より信憑性を高めていただくために、私自身の人生経験をお話させていただきたいと思います。
私の人生経験については、こちらで詳しくお話しているので、ぜひじっくりと読んでいただきたいのですが、
私は、ある一定の時期までは、普通の人と何ら変わらない、むしろ人一倍恵まれた人生を謳歌することができていたのです。
経済的にも恵まれ、家族からもこの上ない愛情を注がれ、友人や仲間からの信頼も手厚く、常に注目されるような存在であり
そんな環境からか、自己肯定感も最高に高く、自信家で、「自分は本当に恵まれている人間だな」と自覚するほどに、最高の人生を送ることができていました。
しかし…
12歳の頃、突如訪れた青天の霹靂によって、恵まれた人生は大きく崩壊してしまい、運命は180度豹変してしまいました。
あれだけ、人生の途中までは、多くの友人や仲間たちに慕われ、周りの人間からチヤホヤともてはやされていたというのに、家の建築がキッカケ(※詳細はこちら)となって、突然、全ての人間から猛烈に嫌われるようになってしまったのです。
恵まれた人生が崩壊した後、理由もわからないまま人から嫌われる現象は悪化し続け、むしろ大人になればなるほどに悪化していき…
社会人になる頃には、ただそこに私という存在がいるというだけで、周囲の人間から、親の仇かと思うほどの憎悪の感情を突きつけられ、毎日のようにパワハラ・モラハラを受け続けていました。
嫌われるのは、職場のみならず、どこへいっても存在を冷たくあしらわれ、バカにされて損する役回りにされるのがデフォルトの状態となり
25歳ぐらいの頃には、友人は一人もいない状態となってしまいました。
さらには、通勤で使っていた電車や駅、道でも、ただ歩いていただけで、赤の他人にいきなり怒鳴りつけられることも、日常茶飯事でした。
駅や電車では、わざと肘でどつかれたり、足首を蹴られたり、しょっちゅう八つ当たりの吐口にされていたのです。
その後も、ただそこにいるだけで嫌われる現象は解決せず、不幸な出来事も増え続け、19年もの間、孤独と不幸の暴力のような日々に、苦しみ続けていたのです。
最終的には、人から嫌われるだけでなく、財産も全て失い、何もかもなくなりました。
残ったのは、生かされているこの命だけです。(母だけは生きていますが)
もはや、幸せな人生を謳歌していた頃の自分というのが、全くの別人と思えるほどに全てが変わり果て、あの頃、当たり前にあった家や家族、お金、友人、人脈、運、自己肯定感…
全て、失ってしまいました。
その後、ある人との出会いで、奇跡的にこれらの不幸続きの原因を判明させることができたのですが、その原因というのが、家を建築した土地がとんでもない場所であったということと、より深ぼった根源的な原因は、過去世のカルマだということが、わかりました。
皆さんも、お気づきかと思いますが、いくら家を建てたからといって、皆が皆、こんな人生にはなりませんよね。
むしろ、ほとんどの人が、こんな目に遭うことはないでしょう。
家の建築をキッカケに、ここまで酷い運命に切り替わってしまったのは、それだけ私が過去世で、たくさんの人に酷いことをしていたからなんです。
私の過去世については、こちらの記事で詳しくご紹介しているので、ぜひ読んでいただきたいのですが
簡単に、私の過去世をお話すると、相当なお金持ちであったらしく、名の知れた家柄のおかげで、色々な人たちにチヤホヤともてはやされ、何も努力することなく、生まれた瞬間から恵まれていたようでした。
そして、今世の私も、人生の途中までは、過去世と同じように、それなりに裕福な家庭に生まれ、友人や仲間からもチヤホヤともてはやされ、何不自由なく暮らすことができていたわけです。
過去世の私は、自分は何も努力もせず、たまたま生まれた家が名家だったというだけで、どんどんつけあがっていき、最終的には、権力を使って、多くの人にひどい仕打ちをしてしまったようです。
具体的にはわかりませんが、おそらく、たくさんの人から相当恨まれることをしてしまったのでしょう。
結局、それだけの大きな罪を犯してしまったがゆえに、過去世ではその罪を清算(解消)することができず、そのまま生涯を終えてしまい…
大きな罪(カルマ)を背負ったまま、今の私(肉体)にその魂が宿ってしまい、再びこの世に生を受けることとなってしまった、ということなんです。
だから、人生の途中で、過去世の罪(カルマ)が噴き出してしまい、今の私に身に覚えはなくとも、多くの人間たちから非難の声を浴びせられることとなってしまった、ということなんですね。
実際に、今世の私も、過去世の名残を継いでいる部分も多くあり、いくつもの共通点があるなと感じています。
最初に、人生の途中までは、ものすごく恵まれていたとお話しましたが、正直、過去世の自分と同じように、性格的にもつけあがっている部分がありました。
というのも、やはりそれなりに恵まれた環境で生まれ育っていたため、人から上に見られることが当たり前であり、友達がいない人間や、自分に自信がない弱者の気持ちを理解することができず、バカにしてしまうこともあったのです。
これも過去世の自分と同じように、自分の努力でチヤホヤされていたわけではなく、結局は、恵まれている環境に甘んじていただけなんですよね。
また、今世で19年という長い年月をかけ、これほどまでにいろいろな人間から虐げられたり、財産を失ったのも必然であり、私の魂の学びのためにも、罪(カルマ)の解消にも、全て必要なことだったんです。
なぜかというと、過去世の私も、今世の途中までの私も、恵まれた環境で生まれてしまったため、貧乏な人の気持ちや、友人がいない人の気持ちを、理解することができなかったわけです。
華やかな人生だけを経験している状態では、お金に恵まれない人や、孤独な人など、弱者の気持ちを理解することはできません。
だから、私は、今世で一人ぼっちの惨めさや、お金のない苦しさ、自分で稼ぐ大変さ、人からバカにされることの辛さや悔しさを、19年という長い年月をかけて経験し、理解することができたのです。
今では、奇跡的に出会えた救世主のおかげで、無事にこの大きなカルマ(罪)も解消することができ、誰からも喧嘩を売られなくなり、19年ぶりに幸せな人生を再スタートさせることができました。
私は、命を奪われるカルマ(罪)ではありませんでしたが、それでも、普通の人が経験しないような、大変な運命を辿ることとなってしまったわけです。
このメカニズムと同じように、犯罪に巻き込まれて、命を落としてしまう人というのも、過去世のカルマ(罪)が、人生の途中で噴き出してしまったということなんですね。
運命は、残酷であり、あまりの理不尽さに憤慨してしまいますが、人生というのは、因果の法則で成り立っているため、私たちの力では、どうすることもできないのです。
私も、19年間、ひたすら惨めな人生を送り続けていたので、心底運命を恨んでいましたが、この世の仕組みを理解することができてからは、多少の理不尽さは残っても、「仕方ないな」と割り切れるようになりました。
犯した罪は必ず返ってくる
あなたの大切な人の命を奪った犯人にも、必ずその罪(カルマ)が返ってくるタイミングがあります。
それは、必ずしも今世(今の肉体としての人生)とは限らず、私の魂と同じように、別の人間に生まれ変わった後で、大きく返ってくることもあるのです。
だから、もし今世で、犯人が命を奪われる苦しみを味わわなかったとしても、必ずどこかのタイミング(転生後など)で、その罪(苦しみ)を経験することになるので、心配はいりません。
人生は、一見今だけが全てのように思えてしまいますが、実際は違うのです。
今の肉体としての人生だけで、全てを決めつけてはいけないのです。
私も、今世では、少々つけあがっている部分はあったものの、人の命は奪っていませんし、過去世ほど多くの人を苦しめたりはしていません。
それでも、過去世の行いがあまりにも酷すぎたことが原因で、今の私に身に覚えはなくても、突然、全ての人間に憎悪の感情を突き立てられ、家族や友人、財産は全て失い、惨めで悲惨な人生を、味わうはめになってしまったのです。
辛くなったら、何度もこの記事を読み返して、私の存在を思い出してください。
罪を犯した人間には、必ずその報いを受ける時期(タイミング)が訪れるので、どうかこれ以上、悲観的にならず、残りの人生を幸せに生きていただきたいです。
まとめ:死に方(最期)は決まっている
誰かに命を奪われてしまった人の受け止め方をご紹介させていただきました。
今回、お話させていただいた人生の仕組みは、誰かの話を盲信したり、何かの宗教から影響を受けたのではなく、全て私の人生経験から気付いたことです。
人生には、人それぞれシナリオがあり、大まかなことは最初から決まっているのです。
亡くなり方が、どれだけ悲惨であったとしても、過去世で同じことを行ってしまった以上、因果応報は避けられません。
この記事を読むことで、一人でも多くの人が救われることを願っています。