皆さん、こんにちは!ニナです。
前回の記事、ニナの人生〜第三章〜では、オーストラリア留学から帰国した後の5年間の間に起きた出来事、最後の最後で出会えた救世主のこと、そしてようやく不幸続きを治すための治療を受けられるようになった所までのお話をさせていただきました。
今回は、救世主との出会いの後、どのような流れで19年も続く不幸続きを紐解いていったのか、そして治療を受けていたこの3年半の間に一体何が起きていたのかをご紹介させていただきたいと思います。
長いようで短い3年半ですが、もう10年以上何処へ相談に行ってもこの不幸続きを解決することができなかった私にとっては、この3年半はとても大きいものだったと実感しています。
今回の記事を読むことで、これまでにお話させていただいた異常な出来事の原因や、どうして突然ここまでの不幸な人生になってしまったのかその理由がはっきりと分かるので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ニナの人生〜第四章〜 想像以上の難題、微かに見えてきた光
年月が経てば経つ程に、どんどん不幸は加速し続け、20代後半になる頃には心身共にボロボロになり、もはやゾンビと化してしまっていた私。
そんな瀕死の状態の中、奇跡的に”救世主”と出会うことができたわけですが、この救世主の力を借りて治療(浄化)をし始めてからも、どういうわけかなかなか自分の思い描いているようには良くなっていきませんでした。
治療を受け始めたばかりの頃は、第一章でお話をした通り、「一戸建ての建築をした土地に問題があった事実があるわけだし、悪霊か何かが憑いているのだろう。これさえ取れればきっとすぐに元に戻るはずだ!」と思い込んでいました。
しかし、実際は1年、2年と治療を受けていても、幸せだったあの頃の私のような状態には一切戻ってはいかず、「もしかしてインチキなのか」と疑ってしまう時期さえあったほど。
でもそれは、自分の大きな勘違いで、この「なかなか元の状態に戻らない」という部分に大きな理由が隠されており、結果として自分の想像を遥かに超越した難しい原因が隠されていたということだったのです…。
2020年 なかなか治らない不幸
悪霊とカルマの浄化(浄霊)の治療を受け、ある程度体調も落ち着き始めていた、2020年の春頃。
散々、海外での大失態や惨めな経験を繰り返してきたというのにも関わらず、このときはまだ「海外へ行きたい」という気持ちが捨てきれていなかったのか、身体もまだ本調子でない状態で、フルタイム勤務で働くことを決意してしまいました..。
丁度この頃、前々からずっと行きたいと思っていたスウェーデンのワーキングホリデーが始まったタイミングでもあったので、「スウェーデンに行きたい!早く行かなきゃ!」という謎の強迫観念に駆られてしまい、不完全な身体をも無視して行こう行こうととにかく必死になっていました。
それに、今までは浄化(治療)も受けていなかったから、働くたびに嫌な目に遭ったり、海外でもうまく行かなかったりしたのだろうけど、もう今は浄化してるから大丈夫だろうと勝手に思い込んでいたのです。
でも、それが大きな間違いでした…。
前回の第三章の記事でもお話しましたが、どういうわけか私はどこへ行っても何をやっても働くたびに(職場だけではないですが)行き過ぎたパワハラやいじめに遭うようになってしまっていたので、スウェーデンのワーホリのために働き始めたここの職場でも、当然のようにパワハラ、いじめに遭ってしまい…結局、ボコボコにされて2ヶ月ともたず早々に退職。
毎日毎日、人格否定をされ、存在を蔑まれ、今思うと普通の感覚であれば、あんな職場は半日ともたなくて当然なのですが、当時の私は感情が麻痺してしまっていたのか、「スウェーデンに行くため」という一つの理由に縛られてしまい、異常な環境の中で1ヶ月半も我慢し続けてしまったのです。
結局、マトモにお金も貯めることもできず、パワハラ地獄・転職地獄を繰り返していたあの頃と同じ過ちを繰り返してしまい、新たなトラウマと苦しみを自ら産んでしまっただけの結果で終わってしまいました…。
このパワハラ被害に遭ってしまった職場を退職した後は、もう色々と懲りてしまっていたので、無理してすぐにスウェーデンに行こうとはせず、まずは自分の身体を優先にして、1年ぐらい先に行けるようにしようと決意。
同時に数ヶ月の休息期間を経て、ようやく今までとは少し違った作業系の仕事(接客なし)に就くことができたのですが、ここでまた新たな”異変”に気付かされることに…。
今度こそ、自分に合っている仕事を選ぶことができたわけだし、仕事内容も定位置に着いてしまえば誰とも話さなくて済むほどだったので、とても気楽に働けるなと安堵していたのですが…。
接客はないとは言えど、同じ部署には色々な人間が働いていて、どんな仕事でもチームワーク要素は少なからず入ってくるもの。
私が経験したこの仕事では、ある時間帯はグループ皆で力を合わせて協力する業務もあったので、不公平が生じやすかったり、誰か一人に負担がかかってしまうことも少なくありませんでした。
なので、結構な人数が存在したこの職場では、最初はあまり気にならない程度の扱われ方だったのですが、徐々に面倒な仕事を押し付けられるようになったり、行き過ぎたちょっかいをかけられたり(他でも散々あった)、常に損する役回りに仕立て上げられるようになってしまったのです…。
その逆に、いつもいつも面倒な役割や仕事を見事にスルリと交わし、周囲の人間を上手く丸め込み、異常なまでに容量よくやっている人間もいて、当時は本当に腹立たしく思っていました。
結局、ここでも最初はいじめ自体はなかったものの、「コイツは使えるわw」と運が悪いのを何故か見抜かれてしまい、毎日上手く利用され、損する役回りに仕立て上げられてしまい…
最後の最後には、些細な理由がキッカケで同僚の8割が私を猛烈に憎むようになっていき、誰もやりたがらない一番大変なポジションに毎日就かせたり、私のポジションが大変で終わらないときもわざと私を無視して手伝わないようにしたり、重いダンボール箱を投げつけるように渡されたり、制服を隠されたり、無視されたり…
トドメには、まだ結婚していないことをバカにされ、この一言でとうとう我慢の限界に陥り、ある日トイレの中で我を忘れて泣き叫び、半狂乱になりながら逃げるように退職しました。
ここの職場では、最初は順調な滑り出しはできたものの、結局次第にバカにされ、ナメられるようになり、最後には「アンタが居るだけでムカつく」とまで言われるようになり、散々退職に追いやられてきたパワハラ三昧の接客業と同じパターン、同じ末路を辿ることになってしまったのです…。
以前にも、これと同じような作業系の仕事に少しの間就いたことがありましたが、大きなパワハラはなかったものの、仕事ができるできない関係なしにロッカールームで普段関わりのない人間に喧嘩を売られたり、上司からも八つ当たりの吐け口にされてしまったことがあったので、これらのことを重ねて思い出し、やっぱり”何かおかしいな”と、改めてここで再認識しました。
今までは、比較的自分に向いていない接客業などの職種に就くとトラブルが起こりやすいのかと思っていましたが、どうやら職種はあまり関係ないようで、仕事自体は問題なくこなせたとしても、”私という存在自体が常に軽んじられている”という事実に気付かされてしまったのです。
今までも何度も説明しているように、他人から異常なまでに嫌われるようになったり、バカにした態度を取られるようになったのも、職場に限ったことではなかったし、こうして向いている職種に就いてみても、結局同じようなパターンで逃げるように退職するハメになっている。
結局、ここの職場での出来事を最後に、外界で働くことはもう無理だと完全に悟り、同時に”自分の人生の更なる異常さ”を思い知らされたのです。
2021年 嘲笑だらけのワーホリ生活
大変だった治療(浄化)の初期症状を乗り越え、いじめに遭った職場を退職した後は、運良く臨時収入が入ったので、そのお金を頼りにずっと行きたかったスウェーデンワーホリへ行けることになりました。
もう、浄化をし始めてから1年以上経った頃には、体調も安定していたので、海外へ行くことも問題ないだろうと判断し、早速ビザの申請をすることに。
もしかしたら、もうご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、過去に私が書いたスウェーデンワーホリのビザの申請方法に関する記事や、スウェーデンに行ってみた感想を書いている記事が残っていると思います。
それだけを見ると、一見華やかな思いをしてきたように見えてしまうかもしれませんが、あの記事を書いた頃は、まだ人生をテーマにしたブログに変更される前だったので、ネガティブなイメージが完全に払拭された記事になっています。(※本当は書くのも嫌になるほど悲惨な状態でした。)
ありがたいことに、まだこれらの記事をご覧になってくださる方がいらっしゃるようなので、今でもこれらの3記事だけは残していますが、これからは「人生」に関する記事をメインに投稿していきますのでご了承ください。
話が少し逸れてしまいましたが、ビザの申請をした後は約3ヶ月ほどでビザの許可を貰うことができ、期待20%不安80%の中、渡航のための準備を進めていました。
現地でも、抜かりなく治療(浄化)を継続できるように、救世主から治療のための物を1ヶ月分ほど頂き、万全の体制で行けることに。
とはいえ、もうこの頃には友達と呼べる相手は一人も居ない状態だったし、どういうわけかもはや高齢者としか縁がないような状態だったので、本当にひとりぼっちでした。
日本ですら、こんな孤独で惨めな人間に成り下がっていたので、何のあてもなく現地の知り合いもなく行ってしまって大丈夫かなと少し不安に駆られたのですが、せっかくビザを貰えたということでとりあえず行くことに。
もう、散々今まで色んな嫌なことがあったし、正直期待なんか50%もしていない状態で行きましたが、そんな中にいながらも僅かばかりに期待があったことは事実です。
せっかく行くのだから、友人も欲しいし、上手くやりたい。そう思っていました。
しかし…。
現地に着いてからは、最初の1日だけホテル滞在、その後は一般家庭にお世話になるスタイルの宿に長く滞在していました。
現地には誰も知り合いもいなかったですし、友人もいなかったので、どうやったら知り合いができるのか色々と自分なりに試行錯誤し、アプリを使ったり色々な手立てを使っていたのですが、こんな便利な時代のツールを使っているのにも関わらず、なぜか友人一人すら作ることができなかったのです。
こんなことを繰り返していたら、以前(オーストラリア留学)のときと同じように、また好きではない相手に好かれてしまって変な思いをしたり、面倒な事に巻き込まれてしまったり…。
使っているアプリも悪かったのか、友人探しのはずが、いつの間にか悪いものばかりを引き寄せてしまうだけの状態に陥ってしまっていたのです。
会ってみたい相手ほど、ドタキャンをされてしまったり、あまり会う気になれない人ほど連絡がしつこく来ることもありました。
その後も、もう滞在し始めて数週間が経過しても状況が変わることは一切なく、家主にすら嫌われることもあったり、誰からも好かれない、誰一人として自分に寄ってこない…。
こんな状態がひたすら続き、気づけばいつまで経っても充実しない一人行動でした。
もう、ずっと目も向けられないほどに悲惨な状態でしたが、とりあえず現地での仕事探しもやるだけやってみようということになり、街中に履歴書を配り歩きましたが、当然のようにどこからも連絡が来ることはなく、なかなか見つからなかったのです。
海外で仕事探しをすることは容易ではないし、よほどの言語力や資格がない限りなかなか見つからないという点だけに関しては、他の人も同じだと思っています。
しかし、人が異常なまでに自分に寄り付かないという点は、日本でも散々嫌というほど経験していましたし、努力の報われなさ、惨めさ、不幸な出来事の多さは、明らかに異常の領域だとこの時も感じていました。
仕事探しの際に、たまたま出会った日本人も居ましたが、なぜかその人は言葉が不自由でも仕事は途切れないようでしたし、本当に不思議に思ったものです。
そんな、哀れな生活を送っていた中、ある日一件だけバイトの研修に来ないかという連絡が入ったので、とりあえず行ってみることにしました。
その仕事内容は、ありきたりではありますが日本食レストランのホールの仕事でした。
過去に、オーストラリアでレストランのホールをやってみた時も上手く仕事をこなせなかったので、不安しかありませんでしたが、せっかく声がかかったということでやるだけやってみることに。
早速、研修の日がやってきたのでお店に入っていくと、最初に簡単な設備や業務の説明をされ、今日はこれこれこういうことをやってくれとの指示が入りました。
日本でのバイトの研修は、いきなり初日から全部の業務をやれと指示が出ることは殆どないかと思いますが、意外と海外の場合はいきなり全てやらされるものです。
ここの職場も、ホールがメインではありますが、レジも仕込みも皿洗いも全てやらされました。
もう長いこと、人と接していない状態でスウェーデンまで来てしまい、更には苦手なホールの仕事までトライすることになり、不安と緊張で終始手足の震えが止まらないほどの状態に陥っていました。
そんな、ヤバすぎな状態で業務にトライしてみることになったわけですが、結局テーブルの位置がわからなくなってしまったり、コップを落として割ってしまったり、激混みになればなるほど何に手をつけて良いのか分からなくなり、お客さんもあまりに鈍臭い私を見て常に嘲笑している有様。
やはりここでの仕事も大恥をかいただけで終わりました。
店主も、鈍臭い私を見て失笑してきたり、何度もわざといじめるように足を踏んできたり、大雨が降ってるのにわざと外の席のテーブルを拭かせたり…。
もう、第一章から第三章までお読みいただいた方は気づかれたと思いますが、結局全て日本で起きた出来事と同じようなパターンで、ここでの仕事も終了してしまったのです。
幸い、1日だけで終わりましたが、無給で12時間休憩なしで働かされ、最悪の記憶として残ることに…。
向いてもいない仕事に再びトライしてしまった私もバカでしたが、だからといってあそこまで小馬鹿にした態度を取られてしまうことには、本当に異常さしか感じませんでした。
結局、何もかもうまくいかないことに必死に抗うのも、惨めな思いをするのももう疲れたので、同時にお金も底を尽き、12分の1の期間で早々に帰国することとなってしまったのです。
そして、実は帰国が間近に迫った頃、私は救世主に対しても治療(浄化)に対しても、激しい疑念しか抱けなくなり、猛烈な怒りが湧き上がっていました。
振り返ってみれば、治療を受けてからもう2年半も経っているのに、私が長年問題を感じている人から猛烈に嫌われてしまう点、不幸なことばかり起こってしまう点、これらの部分が一切良くなっていないことに気づいたのです。
これだけ、長い間、辛い症状も乗り越えて、浄化の治療を受けてきたのに、なんで私が一番生活に支障を感じている部分に効果が現れないだろうか?と、効果をなさを疑わずにはいられませんでした…。
治療を受けても受けても、全然良い方向にも転がらない。
一向に、昔のあの幸せだった頃の私の状態に戻っていかない。
人に好かれる状態に戻らない。
どこへ行ってもパワハラやいじめに遭い、存在を蔑まれてしまう。
「なんで?なんで?なんで?!?!?!?!」
私の中で、大きな怒りと疑念が膨れ上がり、今までのストレスが爆発したかのように、我を忘れて救世主に怒りの言葉を咄嗟に送ってしまったのです。
救世主は、そんな私に大きな怒りを表すわけでもなく、その出来事を静かに見過ごしてくれましたが…
その後、色々と考え直したり心を落ち着かせ、1週間ぐらいしてから救世主にお詫びの言葉を送り、自分の幼稚で浅はかな言動を謝罪しました。
正直、その時点でも疑念は完全には払えませんでしたが、帰国してからもとりあえず治療(浄化)を続けることに…。
早々に切り上げざるを得なくなってしまったワーホリのビザですが、たったの1ヶ月という旅行のような期間で帰ってきてしまったため、色々と嫌な目にばかり遭っていたというものの、残り11ヶ月もあるビザの期間がもったいなく感じてしまったので、なんとかしてもう一度くらい戻れないだろうかと、複雑な心境に駆られていたのです。
とはいえ、もう帰国した頃の私はさすがにエネルギー切れの状態だったので、特に何もすることもなく、ただただ救世主の治療を受けるだけで、ひたすら時が流れるのを眺めているだけでした。
2022年 疑念に悶えた停止の時
2022年に入る頃には、無駄な動きは全て完全にストップし、ワーホリに戻ることも諦め、外界で働くこと自体もストレスになっていたので、しばらくの間家に引きこもってライターとして活動していました。
ありがたいことに、ライティング初心者だった私でしたが、最初の滑り出しからいくつかお仕事をもらうことができ、順調に自宅で仕事をこなしていたのですが、途中で壮絶な過去のトラウマなどによる精神的不調が出てきてしまい、思うように執筆ができなくなってしまったのです。
また、ライティングのお仕事自体はいくつか取ることができていたのですが、高単価の案件を取れていたわけではなかったので、金銭的にはかなり困窮していました。
治療(浄化)自体も、もう始めてから既に2年半ほど経っているというのに、安定した仕事にも就けず、メンタルも安定せず、人脈も戻らず、結局お金も底を尽きてワーホリへ戻ることも諦めざるを得なくなってしまったため、やっぱり治療の効果はないのかも、と本気で疑うように…。
そして、第二章の記事でもお話した通り、友人がいなくなるなどの不幸は既に2004年から始まっていたのですが、友人を失う悲劇は中学生ぐらいから更に加速し始め、中3が終わる頃にはネット上ですらも猛烈に嫌われるようになってしまい、ネットですらも友人ができなくなってしまったのです。
その後も、高校、専門学校、20代…と、時間が経てば経つほどに、同年代の人間との縁がどんどん遠のいて行き、既に22歳ぐらいの頃には、なぜか高齢者としか縁がない状態にまで陥ってしまいました。
一人でお茶をしていたときも、横にいたおばあさんに突然声をかけられたり、買い物中にもおじいさんが話しかけてきたり…
なぜ、こんなにも高齢者としか縁がないのか不思議でたまりませんでしたが、こんなことはしょっちゅうありました。
そして、”ネット上ですら誰とも繋がれなくなった”と先ほどお話しましたが、SNSが当たり前になった現代になってからも「趣味の合う仲間を作りたい」ということで、何度も何度も友人を作ろうと試みたこともあります。
しかし、なぜか趣味仲間と出会うためのタグを付けて呼びかけてみても、自分から声をかけてフォローしてみても、最初から相手にされなかったり、うんともすんとも言ってくれなかったり、まるで自分の存在に気付いていないのではないかと思うほど相手にされなかったのです。
そんな自分とは引き換えに、ふと他のアカウントを見てみると、当たり前のように色々な人と繋がれている人も沢山いて、フォロワーの数も100以上いるのも当たり前、常にみんなで楽しそうにやりとりをしていて、イベントなどで実際に会ったりしている姿も見て、心底羨ましく思いました。
他の人たちは、こんなにも当たり前のようにすぐに色々な人と繋がれているのに、自分という存在を求めてくれる人が沢山いるのに、どうして私は何度同じことをやってもダメなんだろう?と、不思議でたまりませんでした。
かろうじて、一人二人と繋がれたとしても、繋がった数日後に突然ブロ解されてしまったり、イベントがあったときに一緒に行かないかと軽く誘ってみても、その途端に返事が来なくなったり…。
明らかに、誰も私を受け入れようとしていないということが分かったのです。
あれだけ、2003年までは、取っ替え引っ替えできるほどの友人に恵まれていて、常に中心に居るような明るい人間だったのに、2004年以降、何をやっても、どこへ行っても友達一人さえ作ることができない。誰にも相手にされない。
趣味を共有できる友人や仲間が欲しいとずっと思っているのに、何度繰り返しても相手にしてもらえない。繋がれない。自分を受け入れてくれない。
この、長年死ぬほど悩み続けてきた”人脈の喪失”の部分も、治療(浄化)を受けても全く治らない。
2022年という年は、何一つとして充実しない、何一つとして改善しない異常な人生に、諦めさえ覚えた年でもありました。
そんなやさぐれきっていた2022年の下旬。
何かが落ち込みきっていた私を救おうとしてくれたのか、救世主経由で、特別な力を持つ方に会えることになったのです。
2022年 19年越しに辿り着いた不幸の原因
この、救世主の紹介で会えることになった方というのは、除霊などを行う霊能者ではなく、前世を見ることができる人でした。
正直、19年続く不幸の原因も、少しは前世のせいではないかと疑ったこともありましたが、私的には土地の悪霊だけが原因だろうと常に考えていたので、この方を紹介された理由は、いまいちピンとはきていませんでした。
そして、実際に会える日がやってきたので、早速鑑定をしていただくことに。
私の過去世を鑑定をしていただくと、今に繋がるとても重要な情報がわんさか出てきたのです。
まず、私の過去世というのは、詳細は伏せますが、かなりのお金持ちだったそう。
そんな、生まれながらに恵まれた環境で育った過去世の私は、相当な浪費家でもあったらしく、お金に恵まれた家庭に生まれたからといって、色々と調子に乗ってしまい、お手伝いさん的な人に注意をされてしまうこともあったそうです。(20年前の私と重なりますw)
結局、散々お金を使いまくった結果、破産してしまい、お金目当てで私に群がっていた周りの人間も、一斉に私から離れていった(散っていった)そう。
金の切れ目は縁の切れ目、といったところでしょうか。
他には、一体何をしでかしたのか、詳しくは聞いていませんが、おそらく鑑定士の話を聞く限り、わがままな自分勝手野郎で、弱者や貧乏人をバカにするような、最低な人間であったんだろうなと感じました。
下手したら、人の命さえもあやめていた可能性も否めないと感じています。
そして、今世の課題としては、努力もせず最初から全てを手にしていた過去とは逆に、自分の魅力で人を惹きつけられるような人間になりなさい、ということだと教えていただきました。
同時に、今世の私の使命は、自分と同じような問題で苦しんでいる人を助けること、だということも分かりました。
今まで起きた不幸に関しては、てっきり土地の悪霊だけが全ての原因なのではないかと思っていたのですが、そこからさらに深ぼった原因は、過去世のカルマによるものだったのです。
一見、今世で起こった出来事だけで結論づけてしまうと、第一章でお話した通り、良くない土地に手をつけてしまい、家の建築を行なってしまったこと(土地の悪霊)が、全ての不幸の元凶ということになるでしょう。
間違いなく、私たちが家を建てたあの土地には、人の力ではとても祓えないような悪霊がいましたし、様々な怪奇現象と共に、私たち家族に大きな悪影響を及ぼしたことは紛れもない事実です。
(※私を中心に、家族全員に取り憑いていました)
でも、今世でわざわざそんな土地に導かれてしまい、ここまで悲惨な人生を送ることにならなければいけなくなったのは、過去に犯した罪(多くの人の命をあやめるなど)があまりにも大きすぎたため、今世でそのしっぺ返しが来てしまった、ということでしょう。
要は、避けられない運命であった、ということです。
そして、なぜ今世でも人生の途中までは、あれほどまでに全てにおいて恵まれていたのかというと、それも全て人生のシナリオによるものであり、まだカルマが噴き出していない状態であったということです。
第一章の記事を、お読みいただくとわかると思いますが、カルマが噴き出る前の私の人生は、過去世の私と被る部分もいくつかあり、それなりに裕福な家庭で生まれ、身内や友人たちからももてはやされ、綺麗な家にも住むことができ、色々と恵まれすぎていて毎日幸せいっぱいのお花畑な人間。
そんな、恵まれまくっていた環境からか、どんどん性格もつけあがっていき、結果的に、自分に自信がなさそうな子を心の中でバカにしてしまうような、性悪人間になってしまったのです。
でも、そんな性悪人間だというのにも関わらず、誰にも負けないほどの力強いエネルギーを放ちまくっていたせいか、不思議と毎日沢山の友人が群がっていました。
とにかく、当時の私は目立つ存在だったので、付き合う友達もちょっと生意気な感じの子の方が多かったのですが、中には自信のなさそうな弱いオーラの子とも付き合いがあり、どういうわけか、こんな性格の悪い私など本当は嫌であろうはずなのに、なぜかその子は私にいつもくっついていたのです。
今思うと、彼女は私に対して「この子に付いていれば間違いない。」と思っていたのでしょう。
他にも、これだけの性悪にも関わらず、友人と道や街で私と会えば、多くの友達が「あ〜〜〜〜!!♡ニナちゃん〜〜〜〜〜〜♡♡♡」「ニナ〜〜〜〜〜♡♡♡」と、まるでアイドルにでも出くわしたかのような反応をするのです。
当時はどの人間も、私という存在と関わりを持てていることを、ステータスのように感じている様子でした。
人というのは、自己肯定感が低くて優しい人間よりも、性悪でも自己肯定感の高い人間の方に惹かれてしまうものなので、自信のない彼女も、リーダー的な強いエネルギー、高い波動を放っていた私と常に一緒に居ようとしていたのです。
そして、2023年現在の私はというと、カルマの解消 第一段階は無事にクリアし、悪霊も完全にいなくなり、ようやく、街を歩いていても誰からも喧嘩を売られないまでの状態にたどり着くこどができました。(※まだカルマの解消は全て終わってはいません)
2023年に入る前までは、なかなか状況の改善がみられなかったこともあり、救世主のことも、治療のことも疑心暗鬼になってしまっていましたが、実際に今年に入ってから、状況はかなり改善し、良くなってきたので、やっぱり時間はかかったけれど、ちゃんと効いていたんだなと改めて再認識しました。
この、治療(浄化)というのも、人それぞれの状態に合わせて進めていくものなので、大怪我であれば大怪我であるほど、治療には時間がかかり、スピードもゆっくりだということがわかりました。
私の場合は、相当難しい悪霊とカルマだったため、ゆっくり進めていかないと、逆に悪霊とカルマの攻撃で、命を落としてしまった可能性もあるのです。
だから、治療(浄化)はあえてゆっくりのスピードで、私の身体を守りながら進めてくれていたんだと、最後の最後で気づくことができました。
この、救世主がいなければ、鑑定士さんと会うこともできませんでしたし、19年も続いた不幸の本当の原因にも一生気が付けなかったことでしょう。
結果的に、救世主の力は本物であり、どの霊能者に相談しても解決できなかった問題をここまで改善させてくれた命の恩人であったということを再認識できました。
まとめ
今回は、どのような流れで不幸続きの原因を紐解いていったのか、そして治療を受けていたこの3年半の間に一体何が起きていたのかをご紹介させていただきました。
色々な壁にぶち当たりながら、徐々に浄化されていき、19年越しにようやく自分の異常な人生の原因に辿り着くことができたわけですが、ある意味、これは奇跡に近い出来事だと私は思っています。
世の中には、おそらく私と同じような恵まれない人生で苦しんでいる方が沢山いらっしゃるかと思いますが、それでも殆どの方が不幸の原因にまでは辿りつけていないのではないでしょうか。
光と影の両極端な人生経験、救世主との出会いなど、様々な偶然が重なったことで、こうして皆さんに人生の知恵を提供できるようになれたのは、私の使命だからだと感じています。
今回で、私の人生の記事は最後となりますが、今後は人生に関する様々な記事をお届けしますので、ぜひそちらも引き続きお読みいただけると嬉しいです。
今回も、最後までお読みいただきありがとうございました!