皆さん、こんにちは!ニナです。
前回の記事では、友人関係を完全に失った学生時代の話から、孤独な日々の中で自分の幸せを妨げる”謎の邪魔”の存在に気づく様子などをご紹介しました。
今回、お届けするニナの人生〜第三章〜では、職場でのトラブル続きと終わりのない転職地獄、突然始まった騒音被害、そして最後の最後に辿り着いた救世主との出会いをご紹介します。
ここからようやく、19年続いた不幸続きの後半戦へと突入しますが、前半〜中盤の時期よりも、さらに八方塞がりの状況となってしまったのです。
死を覚悟するほどに追い込まれていた私を救ってくれた救世主との出会い、そして私はどのように変化していったのか、これまでの流れをわかりやすく解説していきます!
ニナの人生〜第三章〜 失ったライフライン、常人の世界からの離脱
様々な問題が発生し、逃げるようにオーストラリアから帰国した私。
せっかくの海外生活もロクに謳歌できず、後悔や悔しさなど、複雑な感情に支配されていましたが、なんとかそんな感情を押し殺しながら、帰国後は、販売系の仕事を中心にひたすら働くことになりました。
でも、ただ”働く”という当たり前の行為すらまともに務まらず、地獄のような出来事に幾度も遭遇してしまうことになるのです。
仕事だけでなく、ストレスからくる体調不良、変わらず続く他人からの八つ当たり、終いには激しい住居でのトラブルにまで見舞われ…もはや最後には、廃人そのもの。
廃人になるほどのどん底にまで叩き落とされてしまいましたが、まさに死の直前で、奇跡的に不幸の原因を解明してくれる救世主と出会うことができました。
そこまでの期間、一体何が起こっていたのか、さっそくみていきましょう。
2015〜2018年 終わりのない言葉の暴力と転職
オーストラリア留学から帰国した私は、販売系の仕事を中心に色々な場所で勤務していました。
本当は、最初から事務系の仕事に就きたかったのですが、未経験だとなかなか雇われるのが難しいということもあり、結果的に販売系の仕事に就くことが多くなってしまったのです。
そして、前からお話しているように、私には”海外へ移住したい”という強い気持ちがあったので、一刻も早くお金を貯めてまた海外へ行きたいという思いから、時給の高さだけで仕事を選び、帰国後すぐに働き始めました。
お恥ずかしい話ですが、普通の人は一つの職場で長く正社員として勤務される方が多いと思いますが、私の場合、22歳ごろまでは親のお金を頼りに生きてしまうという最悪な生き方をしてしまっていたため、ほとんどバイトなども経験していませんでした。
そんな、社会人経験が著しく少ない私でしたが、一応少しは販売の仕事を経験しているし、きっとこれからもそれなりにうまくいくだろうと思い込んでいました。
こうして、帰国した23歳ぐらいの頃から接客業を中心に働くことに。
でも、どういうわけか、ただ”働く”という普通の行為さえも、上手くいかないことに後々気付かされることになるのです。
まず、帰国後すぐに働き始めた衣料販売店では、接客以外にも覚えることも多く、自分の能力不足で何ヶ月経ってもなかなか仕事を覚えられませんでした。
スタッフも、私を含め3人しかいない職場だったのですが、次第に仕事のできない私に苛立ちを隠せなくなった2人は、毎日のようにイジメ行為や人格否定的な発言を繰り返すようになったのです…。
当然、仕事もまともに務まらなければ、嫌われてしまうのも仕方がないし、最悪クビになっても当然だと思います。
ですが、彼らの発言はモラハラ、人格否定としか思えないほどに酷いものでした。
ひどい時は「アンタって本当、バカだよな〜!!ww」と、鼻で笑われることもありました。
時には、隣のお店の人も思わずヒヤッとしながら心配して声をかけにきてくれたことも…。
最終的に、そこの職場には行けなくなってしまったので、次の仕事に転職することになったのです。
こんな状況に陥りながらも「早く海外へ行くお金が欲しい」という強い思いに縛られていた私は、その後も懲りることなく、転職を繰り返しながら働き続けることに…。
中でも一番多く経験したのは販売系の仕事でしたが、特に販売系だと向いていない職種だったこともあり、イジメやパワハラは凄まじいものでした。
どこの職場でも、同僚に毎日のように見下した態度を取られ、バカにされ、八つ当たりの吐口にされ…
ある職場では、最後の最後で「お前なんか居ても居なくても変わらねぇんだよ‼️つぅか居るだけで迷惑、邪魔‼️」とまで吐き捨てられ、退職に至るまでの間には、日々の人格否定はもう当たり前、毎日猛烈な怒りを露わにしながら私を突き飛ばしてきたり、ゴミ扱いををしてきたり…
もはや、親の仇かと思うほどの仕打ちでした。
他にも、色々な職種を経験しましたが、短時間だろうが、裏方だろうが、非対面であろうが、とにかく”私という存在がただそこにいる”というだけで、猛烈な不快感と怒りを覚えるのか、なぜかどこへ行っても必ずイジメられてしまうと言う状況に陥ってしまったのです。
驚いたことに、こうした理不尽な八つ当たりは職場だけにとどまらず、別の記事でもお話している通り、やはり通勤時の電車内や駅でも度々遭遇しました。
販売系の仕事をしていた時は、市街にまで出ることが多かったので高校時代と同様に電車で通勤していたのですが、朝も夜も通勤・帰宅ラッシュの時間帯に被っていたこともあり、常に混雑している状態。
なので、嫌な目にも遭いやすい環境ではあったのかもしれませんが…
駅に立ってれば、変な男が突然現れ、何もしていないのにいきなり私のバッグをドン!っと肘打ちしてきたり、わざと足の踵を踏まれたり、ちょっと鞄が触れただけで思いっきり鞄を手で払われたり、「押された」とキレられて、突き飛ばされてしまったり…。
毎日毎日、バッグをどつかれたり、肘打ちをされたり、突き飛ばされたり…
普通の人はこんな目に遭うことはまずないと思うので、信じてもらえないかもしれませんが、嘘ではなく本当に毎日こんな状態だったんです。
長々と職場や電車での出来事をお話しましたが、とにかく共通しているのが、どこへ行っても何をやっても八つ当たりされ、ナメられバカにされ、損する役回りに無理やりされてしまうということなんです。
こうして、彼らの私に対する態度や発言を見ていると、あまりにも行き過ぎていると思いませんでしたか?
どう考えても、明らかにちょっとおかしいですよね?
それに第一章、第二章の記事で詳しくお話していますが、まだ幸せだった2003年までは一切こんな目に遭ったことはなかったし、しかもこういう理不尽な扱いは、何も職場や電車だけに限ったことではなかったのです。
最終的に、長時間の通勤と販売の仕事に疲れた私は、ようやく自分の特性に気づき、向いている仕事に就くことになるのですが、残念なことに、業務自体は問題なくこなせても、ここでもまた”理不尽な扱い”を受けてしまうのです…。
2019年 突然始まった騒音地獄
「海外へ行きたい」という強い気持ちだけを頼りに、3〜4年間、ただただがむしゃらに働き続けていたわけですが、続かなかったり転職が多かったこともあり、なかなか長期的に行くお金を貯めることはできませんでした。
さらに、日々のストレスから買い物依存のような状況に陥ってしまい…。
結局、2018年の終わり頃には、長年続く不幸続きや何をやっても報われない人生に疲れ果て、働くのを辞めたのです。
2018年の冬頃には、ただ何もせず家に居るだけの日々を送っていたのですが、またここでもさらなる悲劇が。
前回の記事でお話した通り、この頃にはもう、もともと住んでいた一戸建てから離れ、マンションに住んでいたのですが、今後は仕事を辞めたのと同時に、上階からドン!ドン!ドン!!!という、何かを床に叩きつけるような衝撃音と振動が、度々聞こえてくるようになったのです。
実は、この事件が始まる前にも、1、2回程度早朝にかける掃除機の音や、同じような衝撃音が聞こえてきて、注意をしてもらったことはあったのですが、その後しばらくの間(数年間)は、静かでした。
なので、マンションに住み始めて4〜5年くらいの間は、問題なく暮らせていたのですが、どういうわけか、何年かぶりにまた同じような上階からの騒音が始まったのです…。
上階から聞こえる衝撃音や振動は、時間と共に増していき、結局数ヶ月ぐらい我慢をしていたのですが、ある日、とうとう耐えられないほどの大きな衝撃音が聞こえてきたので、とっさに警察を呼びました。
その日は、警察が上階の住人に注意をしてくれましたが、結局静かになったのはその日だけで、早速次の日からまたいつもと同じようなドン!ドン!という衝撃音の嫌がらせを続けてきたのです。
毎日毎日、部屋の物が揺れるほどの衝撃音に悩まされ、その後も自分から注意をしに行ったり、管理人に注意をしてもらったり、様々な手立てをしましたが、被害は拡大する一方で、全く解決には至りませんでした。
一緒に住んでいる母親も、後になってから上階の住人がおかしかったとちゃんと気づいてくれましたが、どういうわけか、被害を受けている間はこの衝撃音が聞こえてきても、「こんなの普通だ。」「ここは音が響きやすいから仕方がない。どこも一緒だ。」「お前がおかしい、お前が悪い❗️」の一点張りで、私をキ◯◯イ扱いしてくるばかりでした…。
謎の不幸続きが始まってから、母親の態度もどんどん悪くなっていき、毎日のように私を小馬鹿にしてくる状態だったので、このようにどんなに相手が悪い場合でも、絶対に相手の否を認めず「全てお前が悪い❗️」と吐き捨ててくるような状態だったのです…。
ただでさえ、どこにも居場所のない最悪すぎる状況だったのですが、悲劇はこれだけに留まらず…
上階の騒音問題すらロクに解決していないのにも関わらず、なんと今度は空き部屋だった下階のリフォームの工事が始まってしまったのです。工事の期間は、2ヶ月程度と最初は伝えられていました。
マンションのリフォーム工事がどの程度のものか、最初は分かりませんでしたが、いざ始まってみると当然ながら上階の衝撃音や振動など比にならないほどに凄まじく、フルリノベーションだったこともあり、ものすごい振動と工事音でした…。
あまりにも下階からの振動や工事音がすごかったので、この時、上階からの音はどうなっていたか今となっては分からないのですが、どちらにしても同時期に、上階の騒音(嫌がらせ)と下階のリフォーム(工事音)が重なってしまったという事実は変わりません。
でもどう考えたって、普通ならこんなことが重なるなんてあり得ないと思いますよね?
せいぜい被害があったとしても、上か下かのどちらかでしょう。私もそう思います。
きっと、ここまで読まれた方の中には「こんな事あるわけない。」「筆者の頭がおかしいか、統◯◯調症だ!」と思われた方も多いでしょう。
実際に、上下階からの騒音問題に悩んでいた時に、知人にこの出来事を話してみたら、「ねぇ、ニナちゃん。一旦落ち着こう。さすがにそんな上から下からそんな事が続くわけないでしょう?ニナちゃんがそういう風に聞こえちゃうんだよ。一度ゆっくり休んだ方が良いよ。」と言われてしまったこともあります。
でも、きっと多くの方には信じてもらえないかもしれませんが、普通の人にはあり得ないような出来事なんですが、本当に起こったことなんです。
むしろ私は、皆さんと同じような”普通の人ではない”から、このような出来事に幾度も遭遇してしまったのです。
なので、どうか精◯病ととらえず、ご理解いただけると幸いです。
話が少し逸れてしまいましたが、結局下階のリフォーム工事は、最初は2ヶ月程度と聞かされていたのに、なぜか工事(騒音)は延々と終わらず…気づいたら、工事の期間も無断で延長されてしまい、4ヶ月もの間ずーっと工事を続けていたのです。
もう工事の期間は終わったはずなのに「未だに下から大きな音がするな」と不審に思っていたら、やはり2ヶ月を過ぎてからも工事を続けていたということが判明。
結局、モラルの欠片もないこのリフォーム会社の連中は、いつまで経っても終わらない工事を繰り返し、こちらに延長の申し出もなく、ずさんな行動と工事を繰り返していました。
最終的に上下階の騒音被害は、工事の終了と共に少しは落ち着きを見せていったのですが、それでもなかなか色々と問題が解決しなかったため、翌年引っ越すことになったのです。
とはいえ、新たな住居に引っ越すまでの間は、なかなか心の傷は癒えず…。
友達もいない、働くこともできない、母親には毎日のように罵られ、挙句の果てには上下階からの激しい騒音被害…
様々な不満と不幸続きのストレスから、私の脳もどんどんおかしくなっていき、毎日毎日癇癪を起こしたり、仕返しをするように壁を思いっきり蹴ったり、やり場のない怒りから、ゾンビのように発狂するようになっていました。
救世主との出会い
マンションの騒音トラブルが発生した頃には、もう19年の不幸続きの中の終盤に差し掛かっていたのですが、今までずっと溜め込んできた悲しみと怒りの感情、孤独感に耐えきれなくなり、毎日家の中でゾンビのように泣き叫んだり、身体にも異変が出ていたり…本当に最悪の状態でした。
そんな瀕死の状態の中、私はあることを思い出すのです。
それは、少し前に知人が「ある人と出会って、時間はかかるけど日々の積み重ねで人生が良くなっている。」と、とある人物のことを話していたのを思い出しました。
これにピンときた私は、今の最悪な状況をなんとかしたいという一心で、すぐに知人に連絡をしました。
知人はすぐにコンタクトを取ってくれて、2週間後ぐらいに例の人物と直接会えることに。
この人物こそが、私の救世主です。
救世主と出会ってからは、その人の元、治療を継続していき、時にはなかなか結果が出なかったり、壁にぶち当たることもありましたが、ひたすらそれを続けること3年半。
ようやく2022年の年末に、19年も続いた不幸続きの原因が判明し、不幸続きの原因となっていたものを、完全に解消することができたのです。
私が、救世主の元でお世話になるようになったのは、2019年の秋からだったのですが、いくら人生が良くなっていくものだとしても、この世に魔法は存在しないので、人生が改善していくまでにはそれなりに時間がかかりました。
特に、私の場合は、本当に異常な状態から始まったので、良くなるまでには、相当な時間がかかったと思います。
だから、この3年半、なかなか結果が出なかったり、上手くいかないことがあったりしたときには、疑心暗鬼になってしまったり、やっぱり効果がないのか、もう自分は救われないのかと、ネガティブな感情に支配されてしまうこともありました。
でも、様々な苦難を乗り越えて、不幸続きの原因が判明し、悪いものを全て浄化させることができたので、今では本当に救世主に感謝をしています。
救世主と出会う前からも、2013年頃から、色々な霊能者に見てもらったり、霊感占いをやったり、お寺に相談に行ったり、神社で頻繁にお祓いをしてもらったり、パワーストーンを買ってみたり、塩風呂に入ってみたり…
本当に、色々なことを片っ端から試していたのですが、全く改善&解決には至りませんでした。
明らかに、自分の人生はおかしいはずなのに、どこへ行っても「何も問題ない」「いついつに良いことがある。」などと、ありきたりなことばかりを言われてしまい、本当に困り果てていたのです。
もう、二度と救われる方法はないのかと諦めていましたが、ようやく、19年経ってから、不幸続きを解消させることができたので、本当に良かったと思っています。
変わるとき、不思議な力
ここで、簡単に、浄化の治療を受けるようになってから、どのようにして人生が変わっていったのかをご紹介させていただきたいと思います。
まず、治療を受け始めたばかりの頃は、特にこれといった大きな変化はありませんでした。
ですが、2ヶ月くらい経ってくると…
ある日突然、頭の左側に強烈な違和感を感じるようになり、ある瞬間、激しい動悸に襲われたのです。
次第に、じっとしていることさえも難しくなり、そのままベッドにもぐりこみました。
結局、横になっても苦しさは増すだけで、なんでこんなに動悸が突然激しくなったのか分からず、不安に駆られていたのです。
最初は、このような苦しい初期症状が現れて、その後、本格的に強烈な悪霊とカルマの浄化へと、段階が変わりました。
悪霊とカルマを浄化(浄霊)させる症状は、初期症状よりも苦しく、頭の両側を重機で押しつぶされるような苦しい感覚や、頭上に何かレーザーのようなものがピリピリと刺さるような違和感を感じたり、顔全体が信じられないほどジンジンしてきたり…
日々、変わりばんこにスピリチュアル的な不思議な症状が現れたのです。
特に、顔や頭の違和感は、眠ることすらマトモにできないほどに辛いものでした。
他にも、激しいめまいがしたり、金縛りに何度もあったり、本当に色々な症状が数ヶ月続いて、しばらくの間は、近所のスーパーにさえ行けないくらいの体調になってしまったほどです。
立っていることも難しいくらいの症状が何ヶ月も続いたため、「このまま一生治らなかったらどうしよう」と恐怖のあまり、泣き崩れてしまうほどに辛かったです。
一度は、治療を受けたことさえも後悔したほどでしたが、次第に地獄のような不思議な症状も治まっていき、なんとか少しずつ体調も元に戻っていきました。
正直、もう19年という長い期間色々な不幸を経験してきましたが、体調に関しては、この変わるための症状が、今までで一番苦しかったです。
そしてその間、私がどんな思いで辛い症状を乗り越えようとしていたのかというと、まだ幸せだった頃の自分を常に心の拠り所にしていました。
誰よりも明るくて、常に沢山の人に囲まれていて、皆に好かれていて幸せだった自分。大好きなアイドルやアーティストに夢中になって、友達と一緒に楽しく笑い合っていた日々。誰よりも可愛がってくれた祖父や祖母。あの頃の空気や匂い。数えきれないほどの幸せな思い出。
色々な記憶を思い出し、あまりにも変わり果ててしまった自分に泣き崩れてしまいそうになりながらも、必死で自分を励まし続けていたのです。
「私は、最初から不幸だったわけじゃない。」「きっと、きっと、いつかまたあの頃と同じような自分に戻れるはず。」
そう強く思うことと、幸せだった頃の記憶を頼りに、もう一度立ちあがろうと頑張り続けました。
こうして私は、苦しい治療の第一段階を乗り越え、第二段階、第三段階と進んで行くことに…。
まとめ
今回は、職場でのトラブル続きと終わりのない転職地獄、突然始まった騒音被害、そして最後に辿り着いた救世主との出会いをご紹介しました。
色々なことが重なりすぎて、最後の最後には、心だけでなく体までおかしくなってしまい、もはやゾンビ、廃人のような状態にまで陥っていた私でしたが、その途中で奇跡的に、最後の救世主と出会うことができたのです。
救世主の力を借りてからも、なかなか人生が改善しなかったり、大変なことはたくさんありましたが、この3年半治療を受け続けたことで、不幸続きの原因を判明(解決)させることができ、他の誰も手にすることができないような人生の知恵も手にすることができました。
次回の記事では、2020〜2022年までの間に起きた出来事、19年続いた不幸続きの原因に辿り着くまでの経緯、そして最後の最後でどんな気付きがあったのかをご紹介します。
ニナの人生シリーズの最後の記事(第四章)なので、お見逃しなく!