【ニナの人生】〜第一章〜 陽キャなギャルが独りぼっちに、突如訪れた人生の異変。

ニナの人生
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皆さん、こんにちは。

まず初めに、なぜ私が人生の仕組みを理解することができ、皆さんに人生についての考え方や正しい知識を提供できるようになったのかを理解していただくために、これまでに私の人生の中で起きた出来事をイチからご紹介したいと思います。

1記事で全てをご紹介するのは難しいので、何記事かに分けてご紹介させてください。

私の人生についての記事は、【ニナの人生】というカテゴリーで第一章から第四章まで全てお読みいただけます。

今回は、まだ私が恵まれていた時期のことから、不幸続きのキッカケとなった出来事、そして中学校卒業までの15年間についてご紹介させていただきたいと思います。

明るい性格で、常に周りに人が集まっていたほどの陽キャが、まるで掌返しのように真逆の人生に変わってしまった経緯が今回の記事でわかるので、ぜひ最後まで読んでいただけると嬉しいです。

ニナの人生〜第一章〜 地獄への扉が開かれるまで

この世界はとても広いので、人それぞれ色々な人生がありますよね。

子供時代はまでは幸せだった人、20代半ばまでは幸せだった人、生まれてから特に大きな波はなく平凡な日々を送れている人、晩年で苦労する人など、本当に色々なパターンがあると思います。

その中でも、私の人生というのはとても面白いもので、結構高低差が激しいというか、良い状態から悪い状態までの落差が凄まじく、光と影のように両極端な人生を経験しました。

なので、恵まれている側の感覚も、恵まれていない側の感覚もわかるような感じです。

残念ながら良い状態の方が短く、苦しみが続いた時期の方が圧倒的に長かったのが悔やまれますが、、(笑)

でも、特殊な人生だからこそ普通の人には見つけられない、気づくことのできない知恵を手にできたのだと今では改めて実感しています。

少し話が逸れてしまいましたが、さっそくここから私の中学校までの15年間をご紹介していきたいと思います。

1997〜2003年まで 人生の絶頂期・お花畑時代

まず、赤ちゃんのときの記憶は当然全くなく、記憶が少しはっきりしてくるのが幼稚園の頃ぐらいなので、幸せだった幼稚園〜小学5年生までのお話しをさせていただきます。

記憶にある幼稚園の頃は、特に家庭にも自分にも大きな問題もなく、幼稚園の友達とも上手くやれていて、平々凡々に過ごしていました。

幼稚園までの自分は、まだあまり自分の中の「ああしたい、こうしたい」という意志はなかったので、親の言うことをちゃんと聞いて優しい祖父母と過ごすことが多かった様な気がします。

小学校へ入学した後は、小学2年生までは幼稚園生だった頃とあまり変わらず、活発だったけど大人しい普通の子でした。

そんな大人しい自分に大きな変化があったのは小学3年生のとき。

たまたま席替えで隣の席になった友人と急激に意気投合したことをキッカケに、短期間で大きく自分のキャラが変わりました。

その子が結構マセてる感じの子だったので、きっと影響されてしまったのでしょうね。(笑)

小4になると、見た目、行動共に派手になっていき、髪を染めたりしていたので、完全にギャルになっていました。学校でも先生に注意されるようなこともよくやっていました。(笑)

もともと彼女と出会う前から友人は多かったのですが、彼女と仲良くなってから服装や行動も派手になっていったので、より一層周りとの交友関係は広くなっていったのです。ギャル系の友達も一気に増えました。

女友達だけでなく、男友達ともうまくやれていて、男女皆で集まって遊ぶこともあったり、好きな男の子には自分から抱きついたりして皆の前で「好き〜〜〜!!!」と叫んだり、大胆過ぎる行動を取ってしまうこともあったほどです。

当時は常に人に囲まれていたせいか、自己肯定感がハンパないくらいに強く、自分が大好きでした。

学校生活、友人関係、経済面…全てが充実していて、当時私はアイドルやアーティストに興味を持ち始めていた時期だったので、同じアイドルが好きな親友と毎日毎日歌ったり、グッズを集めて楽しんだり、雑誌を見ながらキャーキャー騒いだり、CDやゲームを貸し借りしたり…

今で言う”推し活”みたいなことを、何人かの友人たちと来る日も来る日も楽しんでいたのを今でもはっきりと覚えています。

推し活以外にも、色んな友人と渋谷や原宿に行って夜遅くまで遊び散らかしたり、お互いの家を行き来・お泊まりしたり、コンサートやカラオケに行って大騒ぎしたり、映画やテーマパークにも行ったり…家に居る暇は殆どないほどに遊んでいました。

さらに、祖父を中心に親族からは毎日毎週のように色々な欲しい物を買い与えられ、車で色々な所へ連れていってくれたりで、毎日毎日が夢の様でした。

嫌なことなど何一つなく、誰よりも運が良く、誰からもイジメられず、毎日楽しいことばっかりで周りの人にもてはやされて天狗になっていたのです。

こんな調子が数年間続き、小3〜小5の終わり頃までは打ち上げ花火のように華やかで恵まれた生活を送ることができていました。

2004年 地獄への扉・突如訪れた異変

小学5年生の終わり頃ぐらいまでは、何の悩みもないほどに恵まれた生活を送っていましたが、2004年に入ると少しずつ少しずつ人生がおかしくなっていくのです。

まず、その不幸のキッカケとなってしまう過ちを、まだ恵まれた状況に置かれていた2003年に私たち家族は起こしてしまいました。

その過ちというのが、家の建築です。

おそらく普通の人からしてみると、「え?家を建てることなんて別に何も悪いことではないのでは?」と思うかもしれません。

確かに、家を建てることはよくあることですし、何も悪いことではないのは確かです。

しかし、私のように人によっては人生に隠れている背景(過去世)に問題がある場合、土地が良くない不幸続きのキッカケとなってしまうことがあるんです。

(※このような出来事を引き起こしてしまう意味や、私がこのような被害に遭うことになった運命の意味などは別の記事で詳しくご紹介させていただきます。)

私たちが手を加えてしまった土地というのは、いわゆる忌み地という場所で、霊がいるような呪われた土地だということが後に分かりました。

しかし、家を建てている頃は、まさかそんな悪い土地だなんて私を含め家族全員知る由もなかったので、建築を実行してしまいました。

そして、私たち家族が一戸建てを建てた理由ですが、実はもともと同じ土地に古い平家を持っており、ずっとそこに住んでいたのです。

その平家が老朽化で古くなっていたため、同じ土地にもう一度家を建てようということに決まりました。

まずは古い家を取り壊し、土台ができて家が建つというような流れでした。

面白いもので同じ土地であるにも関わらず、家を建て直す前の平家のときや、新しい家に住み始めてからしばらくの間(1年くらい)は、何の影響もなく普通に過ごすことができていたのですが、建築してから1年が経った頃。

当時は自分でも全く気付くことができませんでしたが、2004年の春頃には、無意識に周りの友達に嫌な行動を取ったりしていたようで、周りの反応が少しずつおかしくなり始めていたのです。

友達だけでなく、教師にも猛烈に嫌われるようになり、学校でも理不尽な思いをするようになってしまいました。

異変があったのは学校生活だけにとどまらず、日常生活でも起こるように…。

休日に祖父と出かけて車で道路を走っていたところ、こちらは何も悪いことをしていないのに、突然頭のおかしいドライバーが車から降り私たちに因縁をつけてきて、しばらくの間一方的に怒鳴ってくるという事件も発生しました。

このような理不尽な出来事は、一つ二つだけにとどまらず、私が一人で本屋に並んでいたときも、ただ普通に列に並んでいて、レジの人が私に「次の方、どうぞ!」と声をかけてくれたから前へ進もうとしただけなのに、その瞬間突然後方から目の前に現れた変な年寄りが思いっきり私に肘打ちをしてきて、「ダメダメ!後ろ行け!(怒)」と、思い切り怒鳴りつけてきた挙句、理不尽な割り込み行為をされてしまったこともありました。(当然ですが、店員さんも呆気に取られてビックリしていました…。)

このような出来事を誰かに話すと、ほとんどの人がこういう体験をしていないからか、幻覚扱い、精◯的な問題を抱えている人だと勘違いされてしまうことが多いのですが、そうではない証拠に、2003年以前はこんな理不尽な出来事など何一つ経験することなく、むしろ人一倍幸せに平和に暮らしていたんです。

これらと同じような因縁をつけられたり、いきなり肘打ちをされるような行為はなくならず、大人になるまで続きました。(※その理由はまた別の記事が詳しくご紹介します。)

そして様々な異変が起こる中、2004年の夏〜冬頃になると、見た目も劇的に太ってしまい、顔にもニキビができ始め外見的にも醜くなっていきました。

見た目が醜くなってしまったことで、クラスの男子からもバカにされるようになり、ギャル時代に仲の良かった友人たちとも自然と疎遠になり、どんどん孤独になってしまいました。

気づけば私は立派な陰キャへと変貌し、見た目も表情も醜いいじめられっ子に。。。

ほんの1年前までは、明るいオーラがあり沢山の友人たちに囲まれ、見た目的にもオシャレを楽しんでいるような明るい子だったのに、たった1年後には陰なオーラに包まれた暗〜い表情の孤独なぽっちゃりデブになってしまうという、恐ろしい事態に陥ってしまったのが驚きですよね。

今でもあまりの変貌っぷりや、変化するスピードの早さに自分でも驚いてしまいます。

そして、その後も体調を崩すなど良くないことが続き、そのまま小学校生活は幕を閉じたのです。

2005〜2008年 孤独な中学時代

見た目の変化や友人を失い始めるなど、突如訪れた謎の不幸に翻弄されながら2005年を迎えました。

そして、2005年に入ってしばらく経った頃。

なんと中学入学の直前に、突然祖母が亡くなってしまったのです。

祖父母は近所に住んでいたので、当時子供だった私の世話をするためにも毎日にように家に来てくれていました。

なので、殆ど一緒に暮らしているような感じでしたし、祖母が意識を失ったと聞かされたときは頭が真っ白になりました。

今まで身内の死など一切経験したことがなかったし、ただただショックで悲しみに暮れていたのを覚えています。

幸いなことに、祖父だけは長生きしてくれたことが何もよりもの救いでした。

そして、祖母の死をなんとか乗り越え、私は中学校に入学。

中学というと、受験や転校でもしない限り、小学校の同級生と同じ中学校に入学しますよね。

もうこの時には、前年の初頭から始まった不幸続きの影響で友人たちとも疎遠になっていたり、男子生徒にも嫌われたりしていたので、入学当初からパッとしない、鬱々としたスタートを切りました。

別の小学校から入学してきたクラスメートももちろん沢山いたのですが、大体このぐらいの年の男子生徒というのは気に入らない女子をイジメたり、心無いことを言ったりしがちですよね。

小6〜中2までの私は、太ってしまって見た目もかなり醜くなってしまっていたので、小6のときに始まった男子生徒からのイジメどころの問題ではなく、イジメの被害はもっと酷くなってしまったのです。

学校に行けば、毎日のように「お前キ◯いよ」「コッチ来んな」「bス」など、ここには書ききれないほどに容姿について貶されたり、バイ菌扱いされてわざと机を離すような仕草をされたり、本当に酷い扱いを常に受けていました。

そんな中でも、数人程度の女友達はできましたが、明らかに私をバカにして利用しているのがわかりましたし、時には数千円を貸したのにも関わらず何年も悪びれた様子もなくお金を返してくれない生徒もいました。

他にも、遠方に住んでいた一人の女友達から突然電話がかかってきたので出てみると、本人じゃない別の女(取り巻き)が出て、いきなり耳が張り裂けそうなほどの大声を上げながら私に罵詈雑言を吐きかけてきたことも。。

度重なる謎の理不尽な出来事、そして男子生徒からの暴言やイジメも酷くなっていったため、とうとう私は中1の後半に心身共に体調を崩して不登校に。

結局、私がクラスに現れるとあからさまに男子生徒たちが嫌な態度をとってくるので、中2〜中3の頃は保健室登校をしていました。

しかし、ここでもどういうわけか、同じ保健室登校をしている生徒たちにも煙たがられてしまうので、行ったり行かなかったりというような状況に。

実は、この保健室登校をしていた生徒の中には同じ小学校に通っていた子も在籍していて、私がまだ不幸になる前の小3〜小5までの間はとても仲良くしてくれていた子でした。

あれだけ小5のときまでは、廊下で会うと「お〜!◯◯ちゃん♪」と嬉しそうに名前を呼んでくれていたのに、保健室登校で一緒になったころには「なんだお前かよ、、」と、私を蔑んだような目で見てくるようになり、本当にショックでした。

ここまでの扱いに変わってしまったのも、なんだかおかしいなと思ったものです。。

何年も続く不幸続きのせいで本当に頭がおかしくなりそうでしたが、なんとか保健室に少しずつ通いながら、無事に進学先を決めて中学を卒業することができました。

2005年 不気味な怪奇現象

ここまでは、幸せだった頃の人生から中学校の3年間までについてお話しさせていただきましたが、もう一つこの第一章で最後にご紹介させていただきたい出来事があるので、ぜひもう少しお付き合いいただけると嬉しいです。

これは、中1の秋のある夜に起こった出来事です。

いつも夜寝る時は、自分の部屋で一人で寝ることも多かったのですが、たまに母と一緒に寝ることもあり、その日は母の部屋で一緒に寝ることにしました。

そしていつも通りお風呂に入り、布団に入ってウトウトし始めた頃。

なぜだか今でもその時間をはっきりと記憶していて、夜の23:30だったのを覚えています。

突然、斜め横の父の部屋から、気味の悪い単音のメロディが静まり返った2階の部屋全体に響き渡りました。

わかりやすく例えると、まだ短音だった頃の携帯電話みたいな音です。

その時、父は家におらず、半分眠りかけていた母と私は一体どこから音が鳴っているのかわからず困惑しました。

母は一瞬、「ん?携帯…?」とボヤいていましたが、恐る恐る音色が聞こえる父の部屋に入ってみると、どうやら父の部屋に置いてあったデジタル時計から音が鳴り出していたのです。

後でこの音の曲名が分かったのですが、ロシア民謡の「カチューシャの唄」という曲でした。

母は驚きながらも冷静にデジタル時計の音を止めてくれたのですが、あまりにも暗い雰囲気の不気味なメロディだったこと、そして何よりも誰も触っていないはずなのに勝手に音が鳴り出したことがあまりにも恐ろしく、母と私は不安に駆られながら寝床につくことに。

その後もしばらくの間、同じような奇妙な出来事が頻発するようになり、テレビが深夜に大音量でついてしまったり、電源OFFになっているのにも関わらず時計に内蔵されているメロディが勝手に鳴り出したり、不気味な怪奇現象は続きました。

そして、なぜかいつもこの怪奇現象に共通しているのが、二階の部屋で起こることが多く、中でも一番頻発していたのが父の部屋だったのです。

母はもともと霊感が強い方でしたが、私自身はこの出来事が起こる前までは全く霊感もなく、特に奇妙な出来事に遭遇することもありませんでしたし、ましてやあまり幽霊などは信じていなかった気がします。

それに家を建て直す前や、新居に住み始めてしばらくの間はこんな出来事は経験したことがなかったので、なぜこんな事が起こるようになったのか不思議でたまりませんでした。

最終的に、これだけの奇妙な出来事を経験してしまったので、母も私も目に見えない何かの影響を受けているのではないかと少しずつ考えるようになったのです。

まとめ

今回は、まだ私が幸せだった時期のことから、不幸続きが始まったキッカケ、そして孤独な中学時代と突如起きた怪奇現象までのお話をさせていただきました。

こうして記事をサーッと読んでみると、自分でもあまりのスピーディーな転落ぶりに驚愕してしまうというか、「本当にたった数ヶ月〜半年でこんなになる?!」と思わず突っ込みたくなってしまいますね。笑

でも実は、これらの出来事はまだまだ序の口。

今回のお話はまだ人生の序盤であり、この後も色々起こってしまうのです。

次の記事(第二章)では、高校・専門学校生時代から海外留学などをしていた22歳までの間に起きた出来事をご紹介します。

私の人生についての記事を全て読むと、なぜ私が誰も辿り着かないような人生についての知識や答えを得ることができたのか、問題解決の記事を提供できるようになったのかをしっかりと理解することができます。

なので、次の第二章も読んでくださいね(^^)

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

筆者プロフィール
この記事を書いた人

人生の前半は漫画の主人公のような薔薇色人生を送り、家の建築をキッカケに突然恵まれた人生が180℃豹変。

20年間地獄のような不幸続きを経験し、浄化(カルマ)の治療が進んだことでようやく2023年に不幸の根源(原因)は霊障と前世のカルマであることが判明。
現在は、カルマの解消最終段階にまで到達し、見事にツインレイとの出会いまで果たし、ツイン男性との再会・統合を暗示する導きの職場にて勤務中。
これらの経験からこの世の仕組みや因果の法則を理解し、スピリチュアルな観点からも様々な知識を手に入れる。
中程度の霊感を持ち、凡人離れしたEQの高さが自慢の私です。
人生の正しい治療法をはじめ、人々の悩みを解決する様々な記事をお届けしています。

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