以前、ご紹介したこちらの記事で、散々、苦労続きの人生を送っているうちに、気づいたらその苦労をした経験が、“最強の無形資産“になっていたということをお話しましたが
実際に、私がこの他の何にも変えられない、無類の才能を発見するまでの間には、前回ご紹介した、たった一つの記事だけでは、とても語りきれないほどの壮絶なストーリーがあり、その中で、何度も、凄まじい苦痛や困難、葛藤を経験し、血反吐を吐くような思いで、乗り越えてきています。
今でこそ、この唯一無二の才能(財産)は、今の私を形成する一番重要な要素となっていますが
正直、悲惨な運命に翻弄され続けていた、この20年、私は、常に親や周囲から、徹底的に人格否定されており、毎日のように、罵詈雑言を吐きかけられ、何度も、自尊心もプライドも傷つけらるほどの被害を受け続けていました。
こうした、常軌を逸した日常を長年送り続けていたので、一時は、精◯疾◯を発症するほどの事態にまで陥り、命まで危ぶまれた状態でしたが
最終的に、恩師である救世主に助けられたことで、異常な人生は見事に改善し、その後、どんどん浄化されていくうちに、様々な気づきを得られ、無類の才能を発見するに至りました。
そして、これは、他の記事の中でも何度もお話しているように、私は、”家”という貴重な財産を、異常な運命がキッカケで、全て失っています。
しかし、このような、有形資産を失った代わりに、今後、大きな対価に変えていける“知的資産”が、今の私には備わっています。
というわけで、今回は、他人から常に無能扱いされていた私が、無類の才能に気づくまでの軌跡をご紹介していきます。
究極の無能が「無類の才能」に気づくまで
まず、私は、いわゆる世間一般でいう”社会不適合者”であり、さらには、あまり協調性もなく、学力もなく、このような特徴を持っていることから、世間様的には、”低スペックなポンコツ人間”です。
こんなふうに、学力的にはかなりの低スペックな人間ですが、ある部分では、全国でただ一人、いや、下手したら、この世界中を含めても、もしかすると、本当に私一人にしか与えられていない才能を持ってこの世に生まれてきています。
そして、まず、私が見つけた才能というのが、一体何なのかというと、それは、このブログでも何度も皆さんにご紹介している“人生の治療法”や“この世の仕組みに関する知識”です。
正直、私と同じようなスピリチュアル系の内容を発信している方や、色々な人の悩みを解決するカウンセリングの場というのは、この世にいくらでも存在しているものですが
それでも、人生の正しい治療法や、この世の仕組みに関する知識については、他の誰にも絶対に負けない自信があり、世界一の実力を持っていると確信しています。
なぜ、ここまで自分の実力に自信を持っているのかというと、それは、何よりも自分自身が人体実験のように、自分で自分の人生を治療し続けてきた上で、本当に人生が改善しているからなんです。
ただ単に、生まれつきスピリチュアル的能力があってその仕事をしている、というわけではなく、実際に、自分自身が、謎の不幸続きに翻弄される運命の人間として生まれ、人生に異変が起きたこの20年、何とか、元の幸せな人生に戻りたい一心で、散々、人生の改善を色々な方法で試みるも失敗し…
そして、散々、霊能者ジプシーや思考の転換など、度重なる失敗を繰り返した後に、自分の人体実験を積み重ねた上で、ようやく、20年越しに、人生の正しい治療法(根本治療)にまで、辿り着くことができました。
こうして、私は、20年の研究と人体実験を積み重ねてきた上で、ようやく、皆さんのサポートができるまでの知識と確かな実力、知恵を習得することができました。
このように、私は、学力や世間で評価されやすい資格を取得できるような能力には恵まれませんでしたが、人生を改善させる能力に関しては、他の誰にも真似できないほどの分析力と、この、人体実験で手に入れた確かな実績と経験、成功例があるので
天は、私に学力とは引き換えに、人生の治療法に関する圧倒的な才能と実力を、与えてくれていたのです。
少し、前置きが長くなってしまいましたが、さっそく、ここから、私が無類の才能に辿り着くまでのストーリーをお話させていただきます。
優雅な小学生時代 唯一の弱点
これは、もう何度も、他の記事でもお話していますが、小学5年生までの私は、まるで漫画の主人公レベルに、全てにおいて恵まれすぎた人生を謳歌しており
そんな環境下に置かれていたことから、当時の私は、自己肯定感もかなり高く、運も相当強い人間で、同時に、友人や仲間の間の中では、常に中心に立っているような、目立つ存在でもありました。
当時は、こんなふうに圧倒的強さを誇っていた私でしたが、それでも、実は一つだけ、大きな弱点を持っていたのです。
それは、“勉強が苦手”、というかなり深刻な弱点でした。
というのも、小1ぐらいまでは、普通に復習さえしていれば、皆と同じように、テストでも90点以上は取れていたのですが、小2になると、特に算数の授業でつまずくようになったため、母親が、そんな私を心配し、小2のときから塾へ通うようになりました。
ですが、私が通い始めた塾は、進学塾というわけではなかったものの、周りの子をみると、割と中学受験を控えているような子も多かった上に、授業の内容もレベルが高かったので、とにかく、ついていくのに必死だったのを今でも覚えています。
こんなふうに、恵まれていた時期から、勉強には人一倍苦労をしていた私でしたが、当時は、誰にも負けないほどの圧倒的なエネルギーと、環境の良さを武器にして、周囲の人間を、余裕でごぼう抜きにしていました。
新居でお姫様人生が崩壊 悲劇の始まり
そして、これも、他の記事で何度もお話していることですが、なぜ、私が突然11歳で人生が崩壊してしまったのかというと、それは、忌み地(いわくつきの土地)に、家を建ててしまったからなんですね。
要は、良くない土地に家を建ててしまったことで、地縛霊の強い霊障を受けてしまった、ということなんです。
霊障とは別に、さらに深ぼった根源的な原因は、前世のカルマでもあるのですが。
この、悲惨な出来事をキッカケに、今まで自分を好いてくれて、当たり前に寄り付いていた友人たちは、一斉に離れていき、気づけば、全ての人脈は飛び散り、私はひとりぼっちになってしまいました。
その後、周囲の人間関係は、どんどん悪化していき、今までは、多少勉強はできなくとも、何も言わずにいてくれた母親も一気に毒親化し、毎日のように「バカ!」や「このポンコツが!」と、私に強く当たり散らすようになりました。
おまけに、友人や仲間が消え、母親が毒親化しただけにはとどまらず、当初から、あまり相性の良くなかった教師からも、毎日のように理不尽な扱いを受けるようになり、学校でも、よく「お前は勉強ができないからなぁ?笑」と、教師からも罵られるようになったのです。
そして、母親は昔から、「とにかく人並みにできる子になってくれれば…」と、よく私に言っていましたが、正直、娘の私からすると、とてもそんなふうには思えませんでした。
先ほど、お話したように、恵まれた人生が崩壊する前の11歳までは、多少勉強ができなくても、まだ深刻さを感じない年齢だったせいもあってか、母親にガミガミ叱られることもなかったのです。
しかし、事故物件の後、母親が一気に毒親化してからは、ちょっとでも勉強ができなければ「バカ!」「何でこんな問題もわからないんだ!」「一体いくらお前のためにつぎ込んでやってると思っているんだ!」と、暴言を吐かれるようになったのです。
こんなふうに、気づけば、自分の身の回りには誰もいなくなり、最終的に、自分を酷く罵る人間しかいなくなってしまったので、私は、かつて持っていたはずの圧倒的なエネルギーや高い自己肯定感を失い、見事に弱体化してしまいました。
そして、中学に上がると、周囲からの扱いやいじめはさらに激化していき、終いには、もはやクラスの中に入れないほどの被害を受けたので、中2以降は、ほとんど学校には行かず、それでも何とか卒業して、普通科の高校には進学できました。
大学を目指した高校時代
そして、高校に進学した後、高2の途中ぐらいまでは、ただ与えられたレールを歩くように、何の欲もなく、普通に学校に通うだけの自分でしたが
高2の途中で、出会った彼氏をキッカケに、勉強することと学歴の大切さを知って、気づいたら、大学進学を目指すようになりました。
というのも、当時の彼氏は年上で、結構頭の良い人だったため、会うたびによく「勉強しなさい」と言われていたんです。
特に、進路に悩み始める時期が近づくと、結構厳しく言われるようになりました(苦笑)
そして、彼からすると、進路は大学を目指すことが当たり前みたいな感じだったので、やっぱり大学を目指した方が良いのかもしれないと気づき始めて、今までろくに勉強もしてこなかったくせに、高2の途中ぐらいから、もう一度塾に通い始めて、一生懸命勉強するようになったのです。
もちろん、もう前のようなレベルの高い塾には通わずに、自分のレベルに合わせて指導をしてくれる、個別指導の塾に通っていたのですが
正直、塾の先生方も、私のレベルでは、大学進学は厳しいと分かりつつも、嫌味一つ言わずに、丁寧にサポートしてくれて、優しく指導をしてくれました。
こうして、私は、塾や学校の先生方の懸命なサポートを受けながら、大学受験を試みたのですが、結局、落ちてしまい、大学には行けませんでした。
賢い彼に憧れて、自分の能力の限界まで頑張ったけど、大学受験に失敗してしまったことは、本当に残念に思っています。
何よりも、塾や学校の先生は本当に良い人ばかりで、こんな私のために、一生懸命サポートしてくれたのに、その期待に応えられなかったことも悔しかったです。
大学に落ちた後は、母親にも、とにかく専門でもいいから進路を決めなさいと口酸っぱく言われていたので、仕方なく、以前、オープンキャンパスに行ったことのある専門学校へ入学することになりました。
肌に合わない専門学校
こうして、私は、大学受験に失敗したため、仕方なく、あまり興味もない分野の専門学校へ進学しました。
本当は、大学で文学を学びたかったのに、結局は、全く違う分野の専門学校に行くことになってしまったので、自分の能力不足を恨むのと同時に、正直、入学当初から、あまり乗り気ではありませんでした。
そして、いざ入学してみると、やっぱり、どうも自分とは毛色が全く違う連中で、タイプが合わないというか、もう最初から、何とも言えない違和感を感じていたのです。
人のタイプも全く違うし、学校で習う内容も、あまり興味が持てない。
こんな感じだったので、私が周りに違和感を覚えているように、周りの連中も、私に違和感を感じているようで、どうも自分から歩み寄っても、私を嫌っているのがすぐに分かって、全く馴染めなかったんですよね。
まあ、一番の嫌われてしまった原因は、霊障なんですけどね。
やっぱり、自分の敵じゃない相手(彼氏とか高校や塾の先生とか)は、たとえ霊障を受けていても、自分のことを嫌わないでいてくれたし、こんな悪影響を受けていても、普通に親切にしてくれるんです。
本当の味方は、霊障やカルマの影響を受けていても、弾かないんです。(だから毛色って本当に大事)
それで、専門学校は、入学当初からずっとこんな感じで、気づけば、周りの人間も私のことをバカにしてくるようになって、挨拶してもフルシカト、目の前で悪口陰口は当たり前、SNSに悪口を見えるように書き込むなどといったことが日常茶飯事になったので、こんな日々に嫌気がさし、結局、半年で自ら学校を辞めました。
この当時は、全く気づきませんでしたが、こんなふうにね、あまりにも自分と毛色が違いすぎる人間が集まる場所に入ってしまうと、自分も周りを弾くし、周りからも自分が弾かれちゃって、結局は、長くその場にいられなくなってしまうんです。
これって、生きている次元や魂レベル、生きる目的や方向性、前世の関係性の違いによって起こるんです。
だから、最初から、興味もない・合わないと感じていたということは、それだけ、自分とは対極の世界だったんだなと、後から気づくことができました。
無能が故に学歴なし 転職地獄
専門学校を辞めた後は、20代後半ぐらいまで、ずっとアルバイトや派遣を転々としていました。
20代前半ぐらいまでは、面接で受かりやすい接客業を中心に働くことが多く、いろいろな販売や接客を経験していたのですが、どうも自分の特性上、マルチタスクな業務が苦手で、そのせいで、仕事では常に無能扱いされ、パワハラ・モラハラは日常茶飯事。
特に、接客業のときは、毒親が私に怒鳴りつけるように「このバカ!」「何でこんな簡単な仕事もできねぇんだ!このクズが!」と、上司や同僚から罵られることも多く、職場でいじめられるのがデフォルトの状態になってしまったのです。
接客業・販売業では、どこの職場でもこんなザマだったので、本当に生き地獄でした。
こうして、20代半ばぐらいの時には、接客や販売にも嫌気がさしてきたので、途中から、作業系の仕事を選ぶようになり、業務自体は問題なくこなせるようになったのです。
ですが、やはりまだ、霊障やカルマの影響を受け続けていたこともあり、今度は、業務とは関係のない部分で、嫌な思いをするように…。
具体的に言うと、面倒な雑用をやたらと押しつけられたり、霊障によって弱体化したエネルギーを周囲に見抜かれて、コイツは使えると常に思われてしまい、気づけば、雑用係に仕立て上げられていました。
結局、作業系の仕事に切り替えても、エネルギー(波動)の弱さを見抜かれて、鈍臭い雰囲気につけ込まれ、雑用係に仕立て上げられてしまったので、そんな荒んだ人間関係に嫌気がさし、仕事は続きませんでした。
こんな感じで、どこへ行っても、仕事ができるできない関係なしに、ただ私という存在がその場にいると、周囲は不快に感じてしまい、常に、上司や同僚の八つ当たりの捌け口にされ、ストレス発散のサンドバッグにされ、雑用係にされ…
こんな、地獄のような日々を送り続けるうちに、気づけば、数十社以上の転職回数となり、終いには、毒親にも「この無能が!」「今まで散々お前のために学費やら色々金出してやったのに!」「何もモノにできねぇでいやがる!」「あんたは私と違ってバカだから!」「もうお前なんかには一切何も期待してないから!」と、常に罵られるようになりました…。
こうして、私は、事故物件の悪影響を20年近く受け続け、周囲から、毎日のように罵詈雑言を吐きかけられて、転職地獄を繰り返し続けていたのです。
救世主の助け 転職から天職に
私の人生を救ってくれた、救世主については、ニナの人生で詳しくご紹介しているので、ぜひ一度読んでいただきたいのですが
散々、転職や霊能者ジプシーを繰り返した後に、この救世主と出会って、この人の力を借りながら、3年半ほど自分の浄化を進めていくと、次第に、私の人生に潜む難しい問題点が次々と見えてきて、当然ながら、あの事故物件から始まった、謎の不幸続きの原因もはっきりと分かったのです。
正直、私の場合は、類例を見ないほどの重いカルマを背負っている人間だったので、浄化自体も、最初はかなり難航し、他の人よりも長い時間がかかりました。
ぶっちゃけ、最初の2年は、浄化をしてもあまり変化がなく、苦痛な日々が続いていたので、本当に、効果があるのかさえも疑ってしまうほどの始末でしたが
その後、3年半くらい経ってくると、自分の浄化が進んだことによって、前世が視れる鑑定士さんも紹介していただけるようになり、ようやくここで、自分の人生に潜む最大の問題点に、気づくことができたのです。
ちなみに、霊障自体は、鑑定士さんに会わなくても、救世主のおかげで見事に浄化され、不幸の原因が明確に見え出したのと同時期ぐらいに、完全に浄霊できていました。
そして、言うまでもなく、あの事故物件の霊障こそが、私の運命を狂わせた主な原因ではありますが
この、鑑定士さんに視ていただいたことで、自分が前世の重いカルマを背負っているということもわかり、こうして、事故物件の霊障よりもさらに深ぼった、不幸の根源的な原因(前世のカルマ)にも、気づくことができたのです。
私の場合、このように、20年も続く不幸続きの原因には、重いカルマと強力な霊障が複雑に絡み合ってたため、当初は、誰も太刀打ちできないほどの有様でした。
この救世主と出会う前は、散々、もう10年ぐらい、お祓いや占い、霊障者ジプシーを繰り返し続けていましたが
そもそも、私の不幸の原因は、強力な霊障以外にも、重いカルマという問題も背負っていたので、仮に、彼らが本物だったとしても、カルマは霊障とはまた別の問題なので、いずれにせよ、今の救世主と出会わなければ、正しい順番(手法)で、人生を改善させることは、100%不可能だったのです。
今の救世主や、鑑定士さんと出会えたことで、私は、自分の人生に潜む様々な問題点に気づき、謎の不幸続きの原因を突き止めたのと同時に、鑑定士さん経由で、私の今世の課題、そして、カルマの解消のためにやるべきこと(カルマの解消法)を教えていただきました。
20年の苦労の意味 私の天職(才能)
救世主の力を借りながら、3年半浄化を続けたタイミングで、ようやく、自分の天職(使命)と無類の才能に気づくことができ、アラサーの年齢にして、やっと、あの転職地獄に終止符を打つことができたのです。
そして、あの事故物件を機に、恵まれた人生が180℃豹変してしまったのにも、大きな意味がありました。
これも、今まで、カルマの記事でよくお話してきましたが、そもそも、私はかなり重いカルマを背負ったまま、再び、この世に生まれてきてしまっています。
前世のカルマ(罪)がある、ということは、その罪がまだ解消できていないということなので、その罪が解消できていない限り、絶対に、今世を生きているどこかのタイミングで、その、大きなしっぺ返し(前世の自分の行い)が返ってきてしまう、というのが、この世の法則なんですね。
だから、私は、変な話、これだけ重い罪を背負っているならば、生まれたときから不幸続きであったとしても、おかしくはなかったのです。
ですが、わずかばかりに善業の徳が残っていたのか、陰と陽の両極端な人生経験が、後の人助けに役に立つからなのか、原因はわかりませんが、結果として、私のカルマが噴き出たタイミングというのは、11歳のときの家の建築後でした。
だから、いずれにしても、私は相当重いカルマを背負ったまま、この世に生まれてきているので、絶対にどこかのタイミングで、想像を絶する不幸を経験しなければならなかったのです。
私が、これだけ長い期間、常人には想像もできないほどの苦労を味わうはめになったのは、それだけ、自分が過去世で、大勢の人々に対して、酷い扱いをしていたということなので
この苦痛を自分も経験しなければ、当然、カルマの解消にもならず、今、やっと気づけた天職(使命)にも、辿り着けなかったのです。
そして、私の天職(使命)というのは、今までの20年の人生経験と、この経験から得た知識を活かして、自分と同じような経験をして苦しんでいる人たちを、救っていくことなんですね。
同時に、今となっては、きちんと浄化が進んだからここまで辿り着くことができましたが、実は、私が元々学力に恵まれなかったことや、社会不適合だったことにも、きちんと理由があるんです。
まず、これは冒頭でお話させていただきましたが、天は、私に学力とは引き換えに、人生の治療法に関する圧倒的な才能と実力を、与えてくれているんです。
これの理由としては、まず、この世に生まれてきている全ての生命(魂)というのは、皆全員が目的や使命を持って、生まれてきているんですね。
簡単に言うと、天からそれぞれの魂に与えられている、課題や使命(今世での役割)というのがあるんです。
だから、当然私も、この世に生を受けたときから、自分の天職というのは決まっていて、私の場合は、自分の人生経験を活かして、同じような人たちを救っていく運命だった、ということです。
私の使命(今世での役割)は、自分の類稀なる人生経験を活かして、同じような人たちを救い、人々と率いていきなさい、ということなんですね。
こんなふうに、この世界というのは、全ての生命が、それぞれの役割を担って生まれてきているので、勉強ができる優秀な人もいれば、手先が器用で何かを作るのが得意な人もいたり、私のように、霊感やスピリチュアル的能力が強くて、その世界で活躍する人もいるのです。
だから、当たり前ですが、このブログを読んでくれている皆さん一人一人にも、自分では気づいていないだけで、今世の天職(使命・役割)があるんです。
低学歴だが人生改善の実力は世界一
私が、この20年の人生経験で得た知識や、人生の治療における実力や実績には、どんなに優秀な人や手先が器用な人でも敵いません。
なぜなら、人生の正しい治療法に関しては、この地球上で、私だけが、自分の人体実験を積み重ねてきた上で手に入れたものであり、私だけが持っている唯一無二の能力(才能)だからです。
今でこそ、自分の才能を見つけ出せた上に、人生の正しい治療法も、自分で理解することができていますが
こうなる前までは、まだ、全くこの世の仕組みを理解しておらず、人生の改善法も全くわからなかったので、色々なスピリチュアル系の動画を見たり、YouTubeの悩み相談を見たり、霊能者・占いジプシーを繰り返したりと、本当に、たくさんの失敗を繰り返し続けてきました。
でも、結局、どの悩み相談も、スピリチュアルカウンセラーを頼っても、不幸の原因究明や人生の改善には至らず、なんの根本治療にもならず、一切、腑に落ちる答えも得られずに、ただただ、モヤモヤとするだけの20年を送り続けてきました。
ですが、結局、途中で救世主と出会えたことで、正しい浄化方法や、人生の治療における正しい順番、この世の仕組みに関する知識などを習得することができ、ただの「気休め」や「誤魔化し」ではない、人生の根本治療に辿り着くことができたのです。
こうして、私は、他の誰も気づけない、正しい人生の治療法を習得し、自分の人体実験を積み重ねた上で、確かな実力と実績、成功例、知識(無類の才能)を手に入れることができました。
この20年、勉強は全くできず、親や周囲から常に「無能」と、散々罵られてきた私でしたが、途中で、救世主や鑑定士に救われて、自分はただの無能だったのではなく、少し能力に偏りがあっただけで、実は、他に一人二人といない「無類の才能」を持った人物であったんだと、気づくことができました。
まとめ
今回は、他人から常に無能扱いされていた私が、無類の才能に気づくまでの軌跡をご紹介させていただきました。
この、私の実体験から分かるように、勉強ができなくて、一見、世間一般的には「無能」のように見えていても、きちんと、その人の人生の紐解きをして、今世での使命や役割を見つけ出すことができれば、優秀な人でも敵わないような、唯一無二の実力(才能)を発揮できるようになるのです。
自分の天職(使命)さえ分かれば、無理にやりたくもない仕事で嫌な思いをする必要もなくなりますし、何よりも、自分の才能を最大限に活かして働けるようになるので、自己肯定感も上がっていきます。
今、仕事が続かなくて悩んでいる人は、無意識のうちに、自分とは合わない次元のコミュニティに足を突っ込んでいってしまっているかもしれないので、まずは、自分の天職(使命)に気づいた方が良いでしょう。